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東京高等裁判所 昭和38年(う)417号 判決 1963年5月15日

控訴人 原審検察官

被告人 植田太郎

弁護人 徳永昭三

検察官 吉川正次

主文

原判決を破棄する。

被告人を公文書偽造罪につき懲役一年に、偽造公文書行使罪につき懲役六月に各処する。

この裁判確定の日から三年間右各刑の執行を猶予する。

押収にかかる自動車運転免許証(当庁昭和三八年押第一三八号の一)の偽造部分を没収する。

原審における訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

(控訴趣意)

検察官提出の控訴趣意書記載の通りであるから、これを引用する。

(当裁判所の判断)

まず、事実関係であるが、被告人の本件運転免許証偽造の所為は原判決の認定するところであり、又被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書(後者は、昭和三七年六月二九日付)及び被告人の原審公判廷の供述によれば、被告人は本件運転免許証を偽造した後自動車を運転するときはこれを携帯し、警察官の要求があれば提示する積りであつたものであり、起訴状の公訴事実欄記載の昭和三七年三月二三日においても、右の如き意図の下に本件偽造運転免許証を携帯して起訴状の公訴事実欄記載の被告人居宅前から台東区松清町七番地先附近まで貨物普通自動車を運転したものであることを認めることができる。

右の如き事実関係の下において右携帯運転の所為が偽造運転免許証の行使罪となるかどうかということとなるのであるが、思うに、偽造公文書行使罪における「行使」とは、一般的にいえば、当該偽造公文書を真正なものとして使用することをいうのであるが、運転免許証にあつては、運転者が自動車を運転するに際し、法律上これを携帯することを義務づけられているものであり(道路交通法第九五条第一項)、一定の場合に警察官から提示を求められればこれに応ずる義務があり(同法第六七条第一項第九五条第二項)、これらの義務に違反すれば罰則の定(同法第一二一条第一項第一〇号第二項、第一二〇条第一項第九号)があることに徴するときは、自動車を運転している行為は即ち運転免許証を携帯していることを外部に表示している所為であるべきであるから、右携帯することが即ち運転免許証の本来の用法に従つた使用であるといつて何ら差支えなく、これを要するに備付文書の行使の場合と同様の趣旨において偽造公文書行使罪の成立を認めるのを相当と解するものである。原判決は、その他偽造にかかる外国人登録証明書、鉄道乗車券、身分証明書の携帯外出又は乗車等の場合にまで思を致して論じているのであるが、これらの場合に行使罪が成立するかどうかは、その携帯の義務性の強弱の如何及びこれらの文書を携帯する者が外出又は乗車する行為がとつて以て直ちにこれらの文書を携帯していることを外部に表示している所為といえるかどうかにかかるものと解されるのであつて、恐らくは見解の岐れるところであろうと思うのであるが、それはそれであり、当裁判所としては、本件においてはそこまで立入る必要を認めないのである。そして、本件の如く、大型自動車第二種と自動三輪車第二種との二種類の免許の併記されているものを携帯して貨物普通自動車を運転した場合には道路交通法第八六条第八五条に照し、大型自動車第二種の免許のみが本件運転に関係を有し、自動三輪車第二種の免許は本件運転に無関係の如く思われないこともないけれども、かような場合には、当該偽造運転免許証の全体を行使したものと解するのが、取扱を単純にし、又実際にも適合する所以である。

なお、最高裁判所も、偽造運転免許証を携帯して自動車を運転した場合に偽造公文書行使罪の成立を認めているのである(昭和三六年五月二三日、判例集一五巻五号八一二頁)。

以上説明の通りであるので、原判決は法令の適用を誤まつたものというべきであり、その誤が判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、刑事訴訟法第三九七条第一項第三八〇条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により、当裁判所において更に判決することとする。

(犯罪事実)

原判決の認定した事実の外、次の事実を認定する。

被告人は、昭和三七年三月二三日原判示の自動車運転免許証を携帯して原判示被告人居宅から都内台東区松清町七番地先附近まで貨物普通自動車を運転してこれを行使したものである。

(証拠)

当審において認定した右偽造公文書行使の事実についての証拠は、原判示の証拠と同一であるから、これを引用する。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、それぞれ二個の有印公文書偽造及び同行使の罪を構成し、偽造の所為は各刑法第一五五条第一項に、行使の所為は各刑法第一五八条第一項第一五五条第一項に該当するところ、右偽造及び行使の所為はそれぞれ一個の行為を以て数個の罪名に触れるものであるから、刑法第五四条第一項前段第一〇条に則り、いずれも犯情の重い大型自動車第二種免許証に関する罪の刑に従い、原判示確定裁判があるので、偽造の所為については刑法第四五条後段第五〇条を適用処断することとし、偽造公文書行使罪については刑法第六六条第六八条第三号により酌量減軽をなし、それぞれその所定刑期範囲内で被告人を主文第二項掲記の刑に処し、刑法第二五条により主文第三項の如く刑の執行を猶予し、押収にかかる自動車運転免許証の偽造部分は本件偽造行使により生じたもので何人の所有をも許さないものであるから、刑法第一九条第一項第三号第二項によりこれを没収し、原審における訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して主文の通り判決する。

(裁判長判事 久永正勝 判事 栗本一夫 判事 上野敏)

検察官の控訴趣意

原判決には法令の適用の誤りがあつて、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れないものと思料する。

原判決は、公訴事実のうち、有印公文書偽造の点については、公訴事実と同旨の事実を認定して有罪としたが、「被告人は昭和三十七年三月二十三日、右偽造の自動車運転免許証を携帯して、被告人居宅前(東京都江東区亀戸町三丁目四十九番地)から同都台東区松清町七番地先附近まで、被告人所有の貨物自動車を運転して行使した」との偽造公文書行使の点については、判文上必ずしも明らかではないが、被告人が右のとおりの日時、場所において自動車を運転した際、本件偽造にかかる運転免許証を携帯した事実を認めたことを前提とした上で、「文書偽造罪並びにその行使罪は文書の公の信用を害する犯罪であり、その行使とは、偽造文書を真正なものとして第三者に呈示することであると解されている。呈示は文書を第三者に諒知せしめる行為であるところ、その者が現に諒知したことは要しないと解されているが、これは文書の信用を害するような事態が犯人の行為によつて形成されれば足りるとのことであろう。斯く解することによつて所謂備付行為を行使行為となす判例の立場が理解し得るのである(中略)。備付の場合は該文書は既に犯人の手を離れ、第三者は自由にこれを披見し得るのであるが、携帯運転の場合には、これを披見するには犯人の呈示行為か身体搜検等の強制力の行使を必要とするものであつて、文書の公の信用を害することについては段階的差異が存するのである(中略)。よつて被告人の偽造公文書行使の点については罪とならないものとして刑事訴訟法第三三六条に則り無罪の言渡をする次第である。」と判示した。

しかしながら、原判決には、次のとおり法令の適用の誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一、原判決が自動車を運転する際の偽造運転免許証の携帯を刑法第一五八条第一項にいう行使に当らないと判断したことは、同条の適用を誤つたものである。

(一) 判決は、刑法第一五八条第一項にいう偽造公文書の「行使」といえるためには、文書の公の信用を害するような事態が犯人の行為によつて形成されれば足りるとしていわゆる備付行為を行使行為と認めながら、運転免許証を携帯して運転した行為は、未だ公の信用を害するに至つていないとしているのである。そして、原判決の判示では必ずしも明確ではないが、その論旨を通じて窺知しうるところによれば、本件の場合「行使」といいうるためには、少なくとも運転免許証の呈示又は交付という外部的行為が必要であると解しているようである(原判決が昭和三十六年五月二十三日の最高裁判所第三小法廷決定―最高裁判所判例集第一五巻第五号八一二頁―につき、垂水裁判官の少数意見は明快に偽造文書行使罪の本質を解明している、と説示していることからも理解しうるところである)。

さて、刑法第一五八条第一項にいう偽造公文書の行使が偽造公文書を真正なものとして使用することであることには問題がない。しかし、文書といつても多種多様であるから、その使用方法も文書の性質いかんにより異なる。そこで、運転免許証なる公文書の本来的用法は何かが確定されねばならない。

ところで、道路交通法はその第八四条以下において自動車等の運転免許取得につき厳重な要件を要求していること、同法第九二条第一項前段は、免許は運転免許証を交付して行なうと規定し、運転免許を要式行為とし、免許証の交付をもつて運転免許の効力発生要件としていること、同法第九五条第一項は、免許を受けた者は、自動車等を運転するときは、当該自動車等に係る免許証を携帯していないればならないと規定し、運転免許証の携帯義務を課していること等からすれば、道路交通法は、具体的に自動車を運転しうる要件は、運転免許証の交付を受けた運転免許取得者の運転免許証の携帯によることとし、もつて、無免許運転による道路における危険を防止し、交通秩序の安全を図つているものと解せられる。もし、運転免許証の不携帯を容認するときは、運転免許義務制度を確保することは不可能となろう。

すなわち、自動車運転免許証の携帯は、運転免許を受けた者が自動車を運転する際の不可欠の要件であり、自動車運転免許証なる公文書の本来的用法は、自動車運転のための携帯にあり、自動車運転免許証の携帯は、自動車の運転と不即不離の関係にある。

原判決は、「行使」といいうるためには、その使用が文書の公共の信用を害する態様でなされることを要し、そのためには、所持者の他人に対する何らかの外部的行為を必要とし、偽造運転免許証を携帯して自動車を運転したというだけでは、かかる外部的行為がないから「行使」には該らないものと解しているようであるが、道路交通法は、自動車の運転について、免許制度を採用し、自動車を運転する際、その自動車に係る運転免許証の携帯を義務づけていることから、自動車の運転という一定の外部的行為があれば、当然に運転行為と密接不可分の関係にある自動車運転免許証の本来的用法である携帯という行為がそこに存在し、その自動車の運転は、運転免許証を取得した者の自動車運転免許証を携帯した運転であるとの強い推定が働くのである。従つて、自動車運転中の自動車運転免許証の携帯は、運転行為とあいまつて運転免許証の使用という第三者に対する外部的行為であると解される。

偽造文書行使罪は、文書の真正に対する公の信用を害することをもつて本質とするから、文書の真正に対する公の信用を害する危険性があれば足りるのであるが、右に述べたごとく、運転免許証の本来的用法は、自動車を運転する際に携帯することにあり、運転行為に結び付いた運転免許証の携帯という外部的行為がある以上、運転免許証の真正に対する公の信用を害する危険性が存するといわなければならない。

以上述べたとおり、原判決が刑法第一五八条第一項について示した解釈よりしても、偽造運転免許証を携帯し自動車を運転した場合は、同条にいう偽造公文書の行使に該当するのであるのに、これと相反する判断を示した原判決は法令の適用を誤つたものである。

(二) 原判決は、なお、「道路交通法が免許運転者に免許証の携帯を命じていることから自動車運転者は一般的に免許者であるとの推定をすべきものであることや偽造免許証を携帯して自動車を運転する者は警察官に求められれば真正なものとして呈示する意思であることを想定し、携帯運転を備付と同様に行使と認むべしとの見解があるやも知れないが、備付の場合は該文書は既に犯人の手を離れ、第三者は自由にこれを披見し得るのであるが、携帯運転の場合には、これを披見するには犯人の呈示行為か、身体搜検等の強制力の行使を必要とするものであつて、文書の公の信用を害することについては段階的差異が存するのである。」と判示している。

確かに、戸籍簿・会社の帳簿等の文書と自動車運転免許証とは、文書の性質を異にし、本来的用法も行使の態様も異なるのであるが、前述のように自動車運転免許証についても、その性質、用法に即した独自の行使の態様というものが存在するのであるから運転免許証の行使の態様について、戸籍簿等の文書のそれとを比較すること自体は余り意味はない。しかし、仮に、文書の行使の態様について、運転免許証と戸籍簿、会社の帳簿等の「備付文書」とを比較してみると、これらの備付文書は、その性質上、広く一段に又はその備付により特殊の関係を有する人(利害関係人)に対して自由に閲覧させることがその本来的用法であるから、「備付け」を中心として行使ということが考えられるべきであるのに反し、運転免許証は、本来的用法が前述のとおり運転のための携帯にあるから、運転する際における運転免許証の携帯を中心にしてその行使が考えられなければならないのである。

戸籍簿等の「備付文書」の場合、行使ということがいえるためには、現実に人が戸籍簿や会社の帳簿等を閲覧したと否とは問わず、一般人又は利害関係人に対し閲覧しうべき状況においたということをもつて足りるのである。

一方、自動車運転免許証においては、警察官が道路交通法第六七条第一項により、同法第六四条ないし第六六条に違反した運転と認めた場合には、運転者に運転免許証の提示を求めうるのであり、運転者にも運転免許証の携帯義務とは別に同証の提示義務を課し、その提示拒否に対して、運転免許証の提示拒否罪をもつて強制しているのである。換言するならば、自動車運転中携帯されている運転免許証は、一定の要件がある場合、関係人たる警察官に対して随時閲覧しうべき状況におかれているということにほかならない。とすれば、戸籍簿等の備付けと自動車運転の際の運転免許証とのいずれの場合も、第三者に対して閲覧しうべき状況におかれているという点においては同一である。ただ閲覧しうる人の範囲及び要件において、両者の間に広狭の差があるのみで、この差は本質的なものではない。戸籍簿等の備付けをもつて行使とする以上、運転中の運転免許証の携帯もまた行使に当るといわざるを得ない。従つて、偽造戸籍簿の備付けの場合に文書の公信性を害する危険のある行使に該当するというならば、自動車運転中の偽造免許証の携帯の場合もまた同様文書の公信性を害する危険が存するのであつて、刑法第一五八条第一項にいう行使に該当するといわねばならないのである。

原判決は、「備付行使」が「現実の提示又は交付」と同視しうべき論拠として、右に述べた「第三者が自由に閲覧しうる状態におかれていること」のほかに「該文書が犯人の手をはなれた」ことをも挙げている。

なるほど、携帯行使の場合について考えてみると、一定の要件が備つた場合でも、警察官に偽造運転免許証を提示するか否かは、行為者の自由意思にかかつており、提示拒否罪を甘受すれば、偽造運転免許証の提示をも拒みうるし、あるいは偽造の情を打ち明けて提示しうるという意味では、未だ行為者としては実行行為が自己の手を離れたとはいえないかも知れない。

ところで、備付文書の場合について考えてみると、備付けという行為に限つていえば、備付行為を実行したときにその行為は完了し、行為者の手から離れたといいうるかもしれないが、偽造の「備付文書」が備付けられ、その後引続き文書の公信性が害されているという一定の違法状態(法益侵害状態)は継続しているのであり、この点から見れば「備付行使」の犯罪類型はまさしく講学上のいわゆる「状態犯」ともいうべきものである。

すなわち、偽造文書を備付けて、利害関係人に閲覧しうる状態においたと同時に偽造文書の行使罪を構成し、一旦備付けた以上は、その後これを破棄又は抹消しても既に成立した行使罪には何らの消長がないし、また、「備付け」という法益侵害状態が継続している限り、文書の公信性を害する危険な行為は完了していないのであつて、原判決のように、「備付行為」の外形部分のみをとらえて被告人の行為が完了したとはいい得ないのである。

このように見てくると、自動車運転中の偽造免許証の携帯行為は、求められた場合はこれを警察官等に提示するつもりで、その携帯行為の実行行為に入り、携帯をはじめたときに偽造文書の行使罪を構成し、自動車運転中、同様意思で同証の携帯を継続している限り、文書の公信性を害する法益侵害状態が継続しており、偽造の情を打明けて警察官に提示すればそのときに文書の公信性に対する危険な行為が完了し、もし真正なものとして提示すれば閲覧しうる状態がより高まつたにすぎず、依然として文書の公信性を害する危険な行為が継続するということにほかならないことが明らかであろう。

原判決は、あるいはまた、犯人がなすべき実行行為を完了し、すべてが「犯人の手をはなれたのであるから」、備付けと同時に行使罪が成立し、閲覧又は謄本等の下附申請をまつて行使となるのではないという意味で、現実の提示又は交付と同視しうる外部的行為があつたとも考えているようであるが、これを携帯行使の場合について考えてみると、先にも触れたとおり、自動車運転に際して偽造運転免許証の携帯運転行為に入つたときに行使罪が成立し、その後一定要件下で警察官等に呈示するときに第三者が閲覧しうる危険状態がより高まつたにすぎず、警察官等に呈示をしたときにはじめて行使となるのではないという意味で、「携帯運転行為」の実行行為を開始したときに、現実の提示又は交付と同視しうる外部的行為があつたともいい得よう。

以上を要するに、「備付行使」をもつて文書の公信性を害する危険のある行使に該当するというならば、自動車運転中の偽造運転免許証の携帯の場合もまた、同様文書の公信性を害する危険が存するというべきであり、この両者を区別する本質的な差異はないのである。

(三) 更に、原判決は、「仮に携帯義務の存することにより携帯行使なる類型を認むるとすれば、外国人登録証明書(同法一三条)の携帯外出や、鉄道乗車券(定期券も含む)身分証明書(学生証も含む)(鉄道営業法一八条)の携帯乗車についても携帯行使罪の成立を認むることとなる理であるが、前者については外国人であること、十四才未満であること、旅行者でないことが一見して判別し難く、後者については普通乗車券であるか定期乗車券であるか、身分者であるかどうかが一見して判明し難いのであるから、何れも文書の公の信用を害するというには程遠いものがある。」と判示している。

まず、原判決が疑問にしている外国人登録証明書の携帯外出について考究すると、外国人登録法は本邦に在留する外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、在留外国人の公正な管理に資することを目的として、在留外国人の登録を義務づけ(同法第一条、第三条)、更に外国人登録証明書の携帯義務、呈示義務を課しているのである(同法第一三条)。従つて、右登録証明書の本来の使用方法は、在留外国人が外出する際に、これを携帯し、警察官等の求めに応じてこれを呈示すること以外にはないのであり、偽造にかかる外国人登録証明書を携帯して外出することにより文書の公信性を害する危険が存することについては、既に自動車運転免許証について論述したことと本質的に差異はないのであつて、偽造登録証明書の携帯外出も刑法第一五八条第一項にいう行使に該当するといわねばならないのである。ところで原判決は、右登録証明書の携帯外出の場合に外国人であることなどが一見して判別し難いために文書の公の信用を害するというには程遠いものがあると判示しているが、原判決が、いわゆる備付行為を行使行為となす判例の立場を是認しながら、単に第三者が外国人であることが判別し得ないという一理のみで、文書の公信性を害するといい得ないとしているのは到底理解し得ない考え方である。

文書の公信性を害する行為か否かは、かかる事態を惹起した犯人の行為が第三者から諒知しうると否とにかかわらず、客観的、抽象的に判断さるべきであり、しかも公信性を害すべき行為の態様は、その文書の種類、内容により自ら異ることについては、既に論述したとおりである。従つて、外国人登録証明書の携帯が第三者に対して閲覧しうべき状況におかれているという点において戸籍簿等の備付けと同一であることも既述のとおりであり、登録証明書の携帯者が第三者からみて外国人と判別しうるか否かが、携帯行使を是認するについて消長を来たす事柄ではないのである。これは、備付行使につき、その文書を備付けた場所が、第三者からみて、その文書を備付けるべき場所か否かが判別しうると否とにかかわらず、これを認定しうるのと同じ謂である。

更に原判決が触れている鉄道乗車券、身分証明書についても、閲覧しうる人の範囲及び要件において、自ら広狭の差はあるが、いずれもそれを携帯し、呈示することがその文書の本来の用法であり、その本質において運転免許証、外国人登録証明書と差異はなく、偽造定期券又は偽造身分証明書を携帯することにより、文書の公信性を害する危険が存することは、偽造運転免許証の携帯と同様である。従つて、右定期券等の携帯乗車は、もちろん刑法第一五八条第一項にいう行使に該当するといわねばならず、第三者が、一見してその乗車券の種類、身分者か否かが判別し得なくとも、行使罪の成立に消長を来たさないことについては、外国人登録証明書の関係で論述したことと同様である。

(四)また、原判決は、「本件のごとく自動三輪車第二種と大型自動車第二種の免許の併記されてあるものを携帯して自動三輪車を運転した場合には、何れの偽造免許証の行使罪の成立を認めることとなるであろうか。」として、携帯行使の成立に疑問を投げかけているのであるが、道路交通法第八五条、第八六条によれば、大型第二種免許を受けた者は、自動三輪車を運転することができるのであるから、右の場合には当然両免許証の携帯行使が成立するのであり、又原判決が「小型免許証(偽造免許証の意味と思われる。)を携帯していたとしても大型車を運転した場合に、それの携帯行使となり得ない理である。」としているのも至極当然で、かかる場合には、その運転者は偽造免許証を行使する意思なくして、たまたまそれを携帯していたに過ぎないと推定するのが通常であり、原判決が判示しているとおり、その運転者には、その免許証の携帯義務も呈示義務もないのであるから、携帯行使は成立しないのである。

これを要するに、法令により、携帯義務並びに呈示義務が課せられた文書で、それを携帯することが、その文書の本来の用法に従つた使用と認められるものに限り携帯行使が認められるということになろう。

二、原判決は、偽造運転免許証を携帯し、自動車を運転した場合、偽造公文書行使罪が成立する旨判示した前掲の最高裁判所判例に違背し、刑法第一五八条第一項の偽造公文書の行使の解釈を誤つた違法がある。

原判決は、その理由中で、右最高裁判所の決定につき、「その少数意見は明快に偽造文書行使罪の本質を解明しているが、多数意見は明らかにされていないので、如何なる理論構成の下に決定要旨なる結論に到達したかが明確でないが、その要旨に『携帯し自動車を運転した場合』とあり、参照条文に運転免許証の携帯義務を規定した道路交通法第九条第三項が摘記されているところよりすれば、携帯義務との関連において行使罪の成立を認めたものと解すべきであろう。」として、一応右判例が、いわゆる「携帯行使」の成立を認めたことを是認している。しかるに、原判決は、右最高裁判所の判例の少数意見に賛意を表し、多数意見を批判し、あえてこれに従わない旨の判示をしたのであるから、原判決は、明らかに刑法第一五八条第一項の行使について右判例に反する法解釈をなしたものであつて、法令の適用を誤つたものである。

以上一、二の理由により、原判決が偽造運転免許証の行使についてした刑法の解釈適用は明らかに誤りであつて、結局原判決には刑事訴訟法第三八〇条にいわゆる法令適用の誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明白であると信ずるので、原判決を破棄し、さらに適正な裁判を求めるため、本件控訴の申立てに及んだ次第である。

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